確認になるかもしれませんが、「ゼロトレランス」とは、“トレランス=寛容さ”が“ゼロ”のこと。すなわち、学校内における重大な規律違反に対して選択の余地なく規則に従って措置をとる生徒指導方式のことを言います。1990年代から全米に広がった生徒指導方式です。
まだ読んでいませんが、わが国も国立教育政策研究所が昨年5月に出した「生徒指導体制の在り方についての調査研究ー規範意識の醸成を目指してー」報告書にゼロトレランスやプログレッシブディシプリン(段階的累積的規律指導)の導入を検討するよう提言しているようです。
アメリカでは忘れ物や遅刻など軽微なものにゼロトレランスを適用するようなことはしません。そうした場合ディテンション(指導措置)として、監督教師の下で個別に自らの行為を反省する。ディテンションが続く時には、いわゆる保護者召還(コンファレンス)を行います。一方、善行の生徒は大いに褒められるようにしています。
ゼロトレランスやプログレッシブディシプリンを重ねるなどの生徒の場合、正規の学校とは別に「オルタナティブスクール行き」となります。問題生徒を別個に矯正的に指導する学校です。
国立教育政策研究所の提言には、オルタナティブスクールの記述がないようです。しかし、ゼロトレランス等を提起する以上は、オルタナティブスクールの存在は不可欠になるでしょう。
ぷくぷくさんが以前紹介していた、ゼロトレランスを導入した鹿児島県のM高校。積み重なったイエローカードで中退勧告という制度をとっていましたね。おそらくプログレッシブディシプリンを導入して、遅刻が中退理由になるような結果を招いたのでしょう。それは、滅多にない遅刻の場合だったならばディテンションを用れば防げた結果です。
問題行動にプライオリティをつけてディテンション、プログレッシブディシプリン、ゼロトレランスと進めるべきで、ここは十分に検討する必要があるだろうと思います。
私はこれまで、一部の生徒のしたい放題の振る舞いの為に、多くの生徒が学習を遮られたり、自習になったり、授業崩壊したりする場面をみてきましたし、経験もしました。教師への暴言や暴行もみてきましたし、対峙してきました。本書ではこうした荒れた学校の状態は1960~70年代のアメリカだ、と言っています。そして日本の現生徒指導体制は「受容的」「心の理解」を中心とした生徒指導であり、それは既にアメリカが失敗してきたものだと。
違法・不法行為を止めさせ、当該生徒を立ち直らせると同時に大多数の生徒の学習環境を保障するためには、ゼロトレランス方式は前向きに検討してよい措置だと私は思います。
ただし、オルタナティブスクールの設置や人的配置など制度・予算面で即実施とはいかないでしょう。それでも、私は大多数の生徒の学習環境保障の点からゼロトレランス方式に賛成です。
ゼロトレランス導入推進派は、具体的な徳目を教え込み規律ある態度の育成が主要目的であり、生徒の自主的・自発的成長という側面については「進歩的革新的」として批判的です。したがって、総じて保守的な思想が至る所に顔を出しています。(I 中の荒廃した現状から生徒指導に関して共感する文章を見つけるときも、櫻井よし子や石原慎太郎だったりしたものです)。
したがって、学校現場の荒廃状況について正鵠をついていると感じる一方で極端な保守的な価値注入主義にはしるところは気になるところです。
まだ読んでいませんが、わが国も国立教育政策研究所が昨年5月に出した「生徒指導体制の在り方についての調査研究ー規範意識の醸成を目指してー」報告書にゼロトレランスやプログレッシブディシプリン(段階的累積的規律指導)の導入を検討するよう提言しているようです。
アメリカでは忘れ物や遅刻など軽微なものにゼロトレランスを適用するようなことはしません。そうした場合ディテンション(指導措置)として、監督教師の下で個別に自らの行為を反省する。ディテンションが続く時には、いわゆる保護者召還(コンファレンス)を行います。一方、善行の生徒は大いに褒められるようにしています。
ゼロトレランスやプログレッシブディシプリンを重ねるなどの生徒の場合、正規の学校とは別に「オルタナティブスクール行き」となります。問題生徒を別個に矯正的に指導する学校です。
国立教育政策研究所の提言には、オルタナティブスクールの記述がないようです。しかし、ゼロトレランス等を提起する以上は、オルタナティブスクールの存在は不可欠になるでしょう。
ぷくぷくさんが以前紹介していた、ゼロトレランスを導入した鹿児島県のM高校。積み重なったイエローカードで中退勧告という制度をとっていましたね。おそらくプログレッシブディシプリンを導入して、遅刻が中退理由になるような結果を招いたのでしょう。それは、滅多にない遅刻の場合だったならばディテンションを用れば防げた結果です。
問題行動にプライオリティをつけてディテンション、プログレッシブディシプリン、ゼロトレランスと進めるべきで、ここは十分に検討する必要があるだろうと思います。
私はこれまで、一部の生徒のしたい放題の振る舞いの為に、多くの生徒が学習を遮られたり、自習になったり、授業崩壊したりする場面をみてきましたし、経験もしました。教師への暴言や暴行もみてきましたし、対峙してきました。本書ではこうした荒れた学校の状態は1960~70年代のアメリカだ、と言っています。そして日本の現生徒指導体制は「受容的」「心の理解」を中心とした生徒指導であり、それは既にアメリカが失敗してきたものだと。
違法・不法行為を止めさせ、当該生徒を立ち直らせると同時に大多数の生徒の学習環境を保障するためには、ゼロトレランス方式は前向きに検討してよい措置だと私は思います。
ただし、オルタナティブスクールの設置や人的配置など制度・予算面で即実施とはいかないでしょう。それでも、私は大多数の生徒の学習環境保障の点からゼロトレランス方式に賛成です。
ゼロトレランス導入推進派は、具体的な徳目を教え込み規律ある態度の育成が主要目的であり、生徒の自主的・自発的成長という側面については「進歩的革新的」として批判的です。したがって、総じて保守的な思想が至る所に顔を出しています。(I 中の荒廃した現状から生徒指導に関して共感する文章を見つけるときも、櫻井よし子や石原慎太郎だったりしたものです)。
したがって、学校現場の荒廃状況について正鵠をついていると感じる一方で極端な保守的な価値注入主義にはしるところは気になるところです。
# by maksy | 2007-10-10 16:05 | 書籍・雑誌